語りえぬものについては、沈黙するしかない

タイトルの名言で有名なオーストリア出身の哲学者、ウィトゲンシュタイン
皆さんもよくご存じの彼の著作、『論理哲学論考』について語りたいと思う。

二十歳前後の、自分こそが世界の中心だと信じて疑わない若者だった私は、
本著に出会いとてつもない衝撃を受ける。その内容は
1.世界とは、起きていることすべてである。
2.起きていること、すなわち事実とは、諸事態の成立である。
3.事実の論理像が思考である。
4.思考とは有意義な命題である。
5.命題は要素命題の真理関数である。
6.真理関数の一般形式は [ p, ξ, N(ξ) ]*である。
  これは命題の一般的形式である。
7.語りえぬことについては,沈黙するしかない。
別に、頑張ってまとめたわけではなく、もともとこのように記述されている。
そしてそれぞれの章には1-1,1-2の小見出しが続いていく。

当時の私の知る哲学書とは、難解な字句で複雑な文章を構成しており、
おまえに何がわかる、と、常に小バカにされている印象をもつものだった。
この本は違う(書いてある内容が理解できたとは言っていない)。
少なくとも、読み手に伝えようという意思は伝わってくる。


「哲学とは何か」という質問は究極命題である。
(その問い自身が哲学の命題となっている)
ウィトゲンシュタイン論理哲学論考の6章第1項で
論理学の命題はトートロジーである、と語っている。
つまり「哲学とは何か」に対する回答は「哲学とは哲学である」なのである。
哲学を余すことなく語り、他者と共有することができて初めて、
その全貌を知り、伝えることができるのである。
哲学について語りつくすことができないのならば、それを語ることはできない。
(少なくとも当時の自分はそう理解した)


そんな不毛な議論を繰り返して哲学を学んだ学生は、
社会に出るときの企業面接でほぼ必ずと言って次の質問をされる。
「哲学って何ですか?」

(語りえぬものについては、沈黙するしかない)

当然面接は通らない。哲学が嫌いになった。