ふっと思い出す昔話

自分がまだ学生だった頃、強烈に読みたいと思ってなお、読み切れなかった本がある。 
それは、ホメロスの『オデュッセイアー』と西田幾多郎の『善の研究』である。 

今更説明するまでもないとは思うが、ホメロスは『イーリアス』であの有名なトロイア戦争を描いており、『オデュッセイアー』はトロイの木馬の発案者で、戦争で大きな功績をあげオデュッセウスの、凱旋の途中に起きた、10年に及ぶ漂泊の物語である。ちなみに『イーリアス』作中にはトロイの木馬による陥落シーンはないので注意。 

そこそこ知ってる方からすると「ホメロスホメーロスだろ、jk」とか言われそうだから先に言っとく。細部に拘ると全体を見落とすので気を付けてください。 

当時岩波文庫版を購入して読み始めたものの、ヘクサメトロス(六歩格)という、古代ギリシ叙事詩の標準的な韻律をそのままに、忠実に訳した本文に、2頁読み進めては2頁戻るという苦行を繰り返したため、ムーサへの祈りだけは暗唱できるようになる、という不思議な体験をした本だ。岩波少年文庫版を見つけ、読破できたのは不惑を超えてからのことである。つまりホメロス版はまだ読めてないし、今になっても読める気がしない。 

ちなみにオデュッセウスラテン語にした後、英語化するとユリシーズと表現される。こちらもご存知アイルランドの作家ジョイスの作『ユリシーズ』。この作品も名著として名高いが、個人的には苦行以外の何ものでもない。お勧めしない。 

物語自体は面白く、読み応えもばっちりなのに、読みにくい理由は、古代ギリシア叙事詩日本語の相性の悪さにあると人のせいにしとく。大体吟遊詩人が諳んじてたんだから、吟遊詩人のライブでお願いしたい。日本で有名な吟遊詩人っていうと琵琶法師なんですかね。合わなさそう。 

現代日本の吟遊詩人って言ったら、ギター流しでしょうか。見たことないし、昭和の香りがするから現代とはいいにくい。ただ、伴奏に合わせて物語を語るのと、歌を歌うのはやっぱり違うかなぁ。そうすると現代版だとミュージカルになるのかなぁ。 

イーリアス』『オデュッセイアー』が伝説ではなく、史実だったことをシュリーマン 
は信じ、発掘調査に乗り出し、その実在を証明した。であるならば、吟遊詩人の歌にするということは、本にまとめることができない時代、みんなに語り継いでもらうための、記録を後世に残す、当時の智慧の結集なのかもしれない。そろそろYouTube上でVtuberに自伝を語らせるとか流行るような気がする。 

仕事にしろ娯楽にしろ、人間の技術の進歩がそのあり方を変えるってのが面白い。技術に携わる人間として、やっぱり新しい技術へのアンテナは高くないといけない、でないと、顧客にいい提案なんてできないよな、ってきれいにまとめて終わります。